Memory of RVF
現在乗っているCBR1000RRに乗り換えるまで、NC-30(VFR400R)を2台乗り、ともに配車、、、、
そしてNC-35(RVF)に乗り継ぎました。
V4に対する思いは1989年、ワイン.ガードナー&マイケル.ドゥーハン組みのTEAM HRCから。
その後ドゥーハンが8耐を出なくなるまで(1993年最終。1992年は怪我のためガードナーとビーティー組みだった)の4年間の印象が非常に強く、その後のスーパーバイクRC-45以降も嫌いではないが、TT-F1のそれとはちがうようです。
ここでは、自分の前愛車、VFR〜RVFまでが変貌を遂げていった記憶をたどってみよう。
これは1992年のワークスRVF750
OKIカラーはこれが最終仕様となる。
1990、1991年版はブラッシュパターンではなく、直線的なカラーリングで、ホイールは1989年以前のゴールドのマグネシウムホイールだった。
その辺を先に説明しておくと、「なるほど」と納得していただけるかもしれません。


記念すべき一代目。
89年型NC-30
このトリコロールカラーも新鮮だったが、このころからはやりだす蛍光レッド+ラベンダーの配色(1989年HRCカラー)に憧れ、サイドにVFRでありながら「RVF」のロゴをカッティングし貼っている。正立フォークには、前から見てミシュラン、サイドから見てショウワのステッカーがブーム?だったと記憶している。
そこで、一回目の変貌。
89年のワークスカラーにするにあたり、当時これも有名だった「オメガスピード製、ワイドナックル スラントノーズ」の耐久カウルをおごり、なんとプラモデル用の缶スプレー、もう何本使ったか忘れるぐらい使用し自家塗装。
カウリングのスポンサーロゴ等は全て手カッティングにより再現していった。

右は最終時期。ワークスナンバーの「11」を貼り、上の写真では未完成な部分も作りこんだ。だが、ホイールまでは塗れませんでした・・・・
そしてこれが2度目の変貌
90年仕様OKIカラー。上のHRCカラーの状態で転等。カウリングがぐちゃぐちゃに。
フルカウルを新調し、さらにヤマモトのアルミマフラーに変更。OKIカラーに自家塗装。今回は車用塗料。スポンサーロゴは同じく手カッティング。このカラーリングで京都の街中を走っている人はあまりいなかったので、某高校では生徒たちに人気だったと後に後輩に聞きました。
左の写真は、高校時代の連れたちとの海までツーリング(お泊り付)
左から90NSR、90CBR250RR×3、90CBR400RR、で私のVFR。なつかし〜(本人たちに許可なし掲載です(爆))
この後、車と喧嘩し配車。修理代82万・・・・・(本体69万でした)なので配車
89 VFR400R
93 VFR400R
事故後、怪我にもめげず保険で査定額の55万を受け取り(くっそ!!)出たばかりのOKIカラースペシャル73万円を購入。
乗り味は90以降変更された「新カートリッジ式正立フォーク&リザーバー別体式リアダンパーのおかげで、ショック吸収の限界があがっているようだ。
フルブレーキング時にさらにダンピングを受ける路面でも安定感は抜群だった。
ただし、下りはやはりフロントからいきそうな感覚は消えず・・・

さっそく目の周りのクマをつけ若干いかつく。
左の写真は、ラッキーガンマ+シュワンツの連れと2ショット。うしろはつ後輩ののシビック。自分はドゥーハンレプリカ(グローブもですよ)で結構めだってました。
そういえば、周りがレプリカブームでしたね。火付け役は僕ですが、レイニー、ガードナー、コシンスキー等々・・・・
マシーンまでやってたのはこのガンマの連れとぼくだけかな??
マフラーはヤマモトのC2Kだったかな?カーボンケブラーのいい音でした。
ロゴがOKIに変わってるのがわかるでしょうか?
これが上の右写真の状態。
再現されていなかった部分をOKI仕様に変更。
スクリーンセンターは自作の「光るOKI」です。
ま自作だけに半年ではずしましたが・・・
これが2代目最終形態。
よりいかつく、レンズを自作、ゼッケン自作、Fフェンダーカット
ナンチャッテブレンボステッカー、メインジェット交換、リミッター解除、カーボンハンドルバー等々。
結構やりました。
パワーはそこら辺の400クラスには絶対負けなかったです。
その後約120キロで転等。
軽い指骨折と軽い全身打撲ですみましたが、バイクは直すと32万・・・・であえなく配車に。
98 RVF
で、3年ほどは100ccスクーターや(3000キロで車と喧嘩し配車・・・)CBR250RRをつれに借りるも、やはりV4がほしくなり購入。
NC-35へと進化。
極論、ステップ以外はフルモデルチェンジとなったRVF
よりワークスRVFに近いスタイリングと、当時初のマルチリフレクターヘッドライト採用により、精悍なマスクへと変貌
ならし後、すぐにリミッター解除とTSRのカーボンケブラーマフラーに変更。
さらに↑の配車の原因ともなった「ハンドルのぶれ」を防ぐため、倒立アルミ製ステアリングダンパー装備。
サスペンションはホンダ初の公道倒立フォークと、NRで使用された「メッキカバー付リアサスペンション」さらにリアタイヤが18→17インチになったことで、コーナリング性能は格段に進化。NC-30での下りの怖さも解消された。少々の突っ込みすぎでもバンクさせると曲がってくれる。
確実に進化を遂げており、満足。
ピークパワーは若干落ちたように感じるが、レスポンスはあがっているようだ。
でもカラーリングがしっくりこない・・・(乗っている分にはタンク色いっしょなのでかわらないのですが)
塗ったれ!!
で、カウリングの一部は残しながら部分自家塗装、&カッティングで92OKIカラーに。(本当は91のガードナー&ドゥーハン優勝カラーが良かったのですが、一回やったので、イメージ変更)
この時点が一番ワークスカラーに近いかもです。
でもこの後、悲惨なことに落下物のせいで転等。カウルぐしゃぐしゃ、シートレールまでゆがむということに・・・・

体はひざをすりむいただけでしたが・・・
で、復活!
当然OKIカラーなカウリングはないので塗装。
ついでにホイールも塗装(これが90、91イメージなんです)
ウインカー小型化
逆車用300キロスピードメーター
ゼッケン装着(片目は8耐久時期はやってました。いまはしませんが)タイヤもミシュランにし、ホワイトでロゴペイント。
かなりレーシーになってるでしょ?

そして2007年、長年連れ添ったRVFとお別れすることにしました。
最終的に前後LEDウインカー、モリワキバックステップ、前後メッシュブレーキホースに交換。
新しい相棒、'07CBR1000RRとバイク屋さんで2ショット。
1994年に初期型が発売され、実質カラーリング変更のみで98年に購入したRVF400
新しい相棒となる2007年モデルCBR1000RRと比べ、実質14年の差があるものの、ルックス的には出来上がっている90年代前半のバイクに改めて驚かされますね。
10年、約60000キロ乗ったわりには綺麗でしょ?(^^)
今後はCBR1000RRを大事に乗っていきます。
いままでありがとう!RVF!!
新しいオーナーがすぐに見つかったので良かったです。
大事にしてもらえよ!(^^)
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